雑記帳

北の地方都市で、見えない左目と見えづらい性質と一緒に生きています。思ったことを色々と。

PCゲーム歴2年、ドットグラフィックとの邂逅

この記事は PCゲーム Advent Calendar 2019 5日目(12月5日分)の記事です。

 

皆様はじめまして。時深(ときみ)と申します。

実は去年にも当アドベントカレンダーにお世話になりまして、去年は「白内障を発症して目が見えなくなったからPCゲームをやり始めた話」をさせていただきました。

polasleep.hateblo.jp

さて今年は、無事両目ともに手術が終わりまして、PCゲーム歴もいよいよ3年目に突入しようとしています。

今回は始めに軽い近況を交えさせていただきつつ、この1年で出会い、好きになったゲームの中から「ドットグラフィック(ドット絵)」のタイトルを3本ほどさらーっと紹介させていただこうと思います。

 

去年記事を書いてから今日まで

2018年2月には右目の手術が終了しておりましたが、2019年7月に左目の手術も終了しました。無事両目とも見えるようになり、眼鏡の変更も終え、現在は「今の目の見え方に慣れる」段階にあります。

今回の手術前には"没頭"する手段として、手術後には目の"訓練"をする手段として、PCゲームにはたいへんお世話になりました。

しかしそれとはまた別に、今年1年のうちにゲームとの向き合い方もだいぶ変わり、なんとなくゲームの世界観やルールに適応する感覚を体感で覚え始めた気がします。また目の前のタイトルと自分なりに向き合い、「楽しむ」という感覚も段々と分かってくるようになりました。

と同時に、ゲームを「積む」という感覚も分かってくるようになりました。ギルティ。

 

今回何故"ドット絵"に着目しようと思ったのか

実はもともと、個人的にドット絵が少し苦手だったからです。正直、見るだけで「うっ」となっていた一面があります。

しかし、PCでゲームをすることに出会ってから、解釈の余地や"余韻"を強く持たせるその在り方に惚れ込みました。今では"味"として大好きなグラフィックの一つでもあります。

なので今回のお題の際に、是非取り上げられればと思いました。 

 

今年好きになったドットグラフィックのゲーム

Strange Telephone

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1人用 / アドベンチャー(カジュアル) / 498円 : 作者公式サイト

6桁の電話番号に電話をかけ、"扉"からの脱出を試みるアドベンチャーゲーム

全体の独特な雰囲気に簡単な操作感も相まって、頭を使わず、静かにすぐに入り込める作品となっています。また、こういった雰囲気にしては"不安になりすぎない"サウンドに加え、解釈の余韻を持たせてくれる奥深いストーリーも、たいへん魅力的です。

そして、PCに限らずスマホやSwitchなど様々なプラットフォームで配信しているのも魅力の一つだと思います。特にスマホ。外へと持ち歩き、より小さな画面でこのゲームをプレイすることもまた、一つの"味"となるような気がします。

 

 

VA-11 Hall-A: Cyberpunk Bartender Action

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1人用 / ビジュアルノベル / サイバーパンク / 1,500円 : 作者公式サイト

バーでカクテルをつくりながら個性のあるお客様たちとやり取りをしていくゲーム。サイバーパンクな世界観を土台に、懐かしさを感じさせるサウンドが心にしみます。(正直サントラほしい)

お客様とのやり取りのなかで、バーテンダーであるジルの葛藤が見え隠れしたり、多数の人間とのかかわりの中で、"それらとは関係ないはず"の自分がより色濃く映し出される姿はとても美しく、考えさせられる作品です。

 

気になっている新作の話

"VA-11 Hall-A"の続編として生み出された、Sukeban Gamesの新作 ―N1RV Ann-A Cyberpunk Bartender Action

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: 作品公式サイト

2019年の東京ゲームショウにおいて、VA-11 Hall-Aの正式な続編として発表されました。今回の舞台は人工島「セント・アリシア」。ここではどんなお客様との出会いが待っているのでしょうか。

2020年発売予定とのことで、続報が待たれます。

 

 

まとめ

ゲームはいいぞ

ということで、今回は以上となります。さらーっと流すようではございましたが、ご覧いただきありがとうございました。

皆様が来年も健やかに、素敵なゲームに出会えますことを、心よりお祈り申し上げます。

【ちょっぴりエッセイ】人との関わり方について(4本立て)

今回は「人との関わり方について思うこと」というテーマで、エッセイを4本ほど置いていきたいと思います。

なんとなく、自分の考え方を記録するつもりで書いてみました。

全体で3000字ほどになりましたので、気が向いたときにでも、気が向いた部分を、ゆるりと読んでくだされば嬉しいです。

 

【ざっくり目次】

「励まし」という蜜への自覚 : 安易にアドバイスをすることに見え隠れするリスクや状態について

私は君のすべてを知り得ないから : あくまで私はあなたのその一面を知らないだけかもしれないということ

"他人に期待しない"ということで得る境界線 : 自他境界の甘さによる相手への期待や理想像の押し付けについて

経験則によるただの不安 : 優しい人だと思われて依存された経験によせて

 

 

 「励まし」という蜜への自覚

人と話していると時折、「相手の事情を聞かずに二言目にはアドバイスをしてくる」という状態に遭遇することがある。

ディズニーの映画に「インサイド・ヘッド」という映画がある。この作品では感情がそれぞれキャラクター化して描かれているのだが、作中で悲しいことがあったキャラクターに対して、ポジティブな感情(ヨロコビ)が相手を励まし続け、相手からやんわりと遠ざけられてしまうシーンが存在する。

これをふまえても、相手の事情を知らない状態での助言は「悲観的/批判的な状態を許さない」状態を作り出すと考える。

たとえば共感性羞恥*1的性質がある人がこういった行動に出る場合は、それはあくまで「相手がつらそうにしていることに共鳴してうまれた自分のつらさを解消したい」がためにそういう行動をしているに過ぎないというのが、私の持論である。

それって結局、「相手のためにしてあげたのに」と思いつつ、無自覚に自分が楽になるためにしていることなのではないかと思うのである。

こういった状態の裏では、無自覚に「相手を救っている」状態に依存している場合がある。その場合、より重くなればメサイアコンプレックスと呼ぶような状態になっていくのではないだろうかと思う。

相手に対してできることはいつだって少ない。しかしそれへの後ろめたさと、つらさへの共鳴については、自覚していきたい。

また、相手に対して何かできることはないかと思いつつ、結局自分のために物事を行っているということも認識し続けていたいものであるし、
誰かに何かを助言する場合には、まずもって相手の状況を深く聞くことから入りたいものである。

 

 

私は君のすべてを知り得ないから

「あいつって口だけだよね」という言い方が存在する。

しかし私は、当人が「口だけの人間」かどうかなど、当人を見ている他人それぞれによって変化するのではないかと、最近思い始めた。
たとえ本人がどこかで何かを成し遂げていても、その場にいない人や、その一面を知らない人、伝え聞いただけの人等からみれば、結局「口だけの人間」になってしまうのだ。

つまり、本人が何かを成し遂げている場にでも居合わせない限り、知らないことや知り得ないことに対しては"想像"の域を出ないのである。
それはあくまで"想像"であって、"事実の確認"にはなり得ないのだ。

加えて「成し遂げる」にも価値観的なグレードの偏差が存在するので、「成し遂げていてもそう見えない」状態もあり得る。

なので、その部分に批判的になったり呆れたりすることに、私はあまり意味を感じていない。

人は、様々な一面が複数存在する形で、多面的に構成されていると思う。そのすべてを知り得ることなど、ほぼ不可能だと思う。

だから相手に対して「口だけだ」と思った時、単に私がその人の「成し遂げている」姿を知らないだけなのかもしれないと、思うことがあるのだ。

 

 

"他人に期待しない"ことで得る境界線

私は"他人に期待しない"ことをモットーとしている。
人は聖人君子ではない。人には調子が良い時も悪い時もある。
しかし相手の様子がいつもと違う時、「自分が何かしてしまったのでは」と"常に"考える人に時折遭遇する。

しかし個人的には、自分が常に誰かに影響を与えていると考える方が、確率的にはもはやオカルトに近いのではないかと考えている。というより、そう考えるのが賢明ではないかと思う感覚もある。
そう思っておくことによって、結果的に自分に厳しくいられて他人に優しくなれるという状態像は想像できるが、
その行動が必ずしも他人に優しい結果をもたらすかというと違うと思うし、
この考えを口に出してしまえば、他人にフォローさせる状態しか生まないのではないかという感覚もある。

相手に勝手に理想を抱き、そこから外れると理想と違うと怒り出すのは、
自他境界が曖昧なのではないかと思うし、人との関わりというより"偶像崇拝"に近いように思う。
これをされた側からすると、「勝手に憧れられて、勝手に幻滅されて、何故か怒られている」という状態になる。

つまり私の中にある"他人に期待しない"ということは、自分なりに自他境界をはっきりさせることで、「相手に対して勝手に理想像をつくらない」ことであるのだ。

自他境界が曖昧だと時折忘れがちだが、誰がどこに主張を持ち、"芯"を持ち、「頑張りたい」と思うのか、「頑張らねばならない状況であるのか」ということは、人によって千差万別なのである。
なので私は、自分の頑張りも認められていいし、しかし他者の頑張りも認められていいのだと、強く思う。

 

 

経験則によるただの不安

これは単に、過去の経験による不安と不満の話だ。

私はとても不器用なためか、嘘がつけない。だから嘘は言わない。
しかし、何度か依存されたことがある。
それらの前提で話すが、私は決して優しくない。
だから優しいことを期待されて依存されても困る。

私がしているのは自己承認と、個人的な観点からの憶測と事実の切り分けくらいのものだ。
「今こう思っている」「そっか、今こう思っているんだね」
これだ。ただこれだけのことなのだ。

これは理屈では割り切れない感情が存在することを前提として、その感情はそれとしてあっていい、とするための方法論の一つだ。
つまり、これは決して相手に寛容なわけではない。
ただ単に経験として、自分にそういう"割り切れない感情"が存在して、それを理論で押し潰そうとすることが苦痛を呼び、
その苦痛が良くない結果を招くということがあったから、私が勝手に相手にそうしているだけなのである。

誇れることではないかもしれないが、これが私なりに自覚して見出した、私の中の共感性羞恥との付き合い方であり、
苦痛を自分で勝手につくりあげ、外部に危害を及ぼすことがないようにととったライフハックなのである。

 

だから私は、私が人にできることなんてまったくないと思いながら生きている。
化物語という作品で忍野メメが言っていた「人は自分で勝手に助かるだけ」という考え方だ。

それで相手から「楽になった」「助かった」と言ってもらえたなら、私はそれとして嬉しいが、
それは本当に、相手が勝手に助かっただけで、私が救ったわけではないのである。

だから私は聖人ではない。救世主でもない。その期待は、正直もうあまり向けられたくないと、思ってしまうところである。

 

 

以上です。ありがとうございました。またなんか思うことがあったらまとめてみようと思います。またその時気が向いたようでしたら、お付き合いいただけると嬉しいです。

*1:他人の失敗を自分事のように感じてしまう心理状態のこと。家族や友人などの失敗はもちろん、ドラマで登場人物が恥をかくシーンや、バラエティ番組で芸人がスベる場面になると、見るのが辛くなってしまう感覚を指します。http://news.livedoor.com/article/detail/11995199/ 

※なおここでは「他者のつらいという感情への強すぎる共感」という意味合いでも使用しています。

【ちょっぴりエッセイ】『誰にでも優しい居場所』といううたい文句によせて

お久しぶりです。今回は機会があって、ちょっとしたエッセイのような何かを書いてみたので、貼り付けておこうと思います。

 

『誰にでも優しい居場所』といううたい文句によせて

個人的には「誰にでも優しい居場所」というのは理想論だと思う。あれば桃源郷だけれど。
淘汰され続きな私たちに、せめて一つくらい淘汰されない場所があればいいという感覚は理解できるが、
そのためにお互い寛容になれるかは重要であると考える。

「自分も相手も淘汰されない」ということは、まず「自分が他人に対しても寛容である必要がある」ということの意識と、積み重ねだ。
お互いに「誰にでも優しい居場所」を「作るための努力」はできても、その継続はどんどん難しくなっていく。
その場所を使うユーザーが増えていくならなおのことだ。

何故なら理想とする場所の枠組みを作り上げることの「実現」と、
その場所を維持し続けることの「継続」とでは、必要な観点が違ってくるからである。
これはたとえば、その場でとりあえず50m全速力で走ってみることはできても、
それを10セット+1カ月毎日やれ と言われたら話が違ってくることに近いのである。

また、主論とは逸れるが、寛容であるということは「いつでも何にでも優しくあること」と思われがちなようにも見える。
しかしたとえば「ムッとしたら離れる」こともまた、寛容の一つの形かもしれない。
つまり他人に対して寛容であるということは、自分に対しても寛容になれるということかもしれなくて、
だから休むことや無理をしないことも決して悪いことではないと、私は考える。

 

以上です。ありがとうございました。また書く気になりましたら、こういうのもあげていこうと思います。

Steam版ニーアを起動したらdisplayportが全死した話(解決済)

先日、Steamでニーアを起動した際に、突然ぶつりと画面が暗転し、displayportに接続していたモニタが信号を受信しなくなるという大惨事が発生しました。

個人的に見てみた感覚でディスプレイもPCも問題がない状態で首をひねりましたが、結果解決しましたので、情報を共有させていただきます。

同様の問題に悩んでおられる皆様が、参考にできますように。

store.steampowered.com

 

【事実】
・PCは落ちていなかった
・音は正常に聞こえた
・モニタの他インプットは表示、音ともに正常に動作していた
NVIDIAのドライバが一つ前のバージョン状態で更新をかける前だった
・キャプチャボードが接続されていた
NVIDIAコントロールパネルとディスプレイ設定、実際のモニタの
各種リフレッシュレート設定はすべてに矛盾がなかった
NVIDIAコントロールパネル>複数のディスプレイの設定 に
よく分からない別のディスプレイ表示が追加されていた

 

【試したこと】
・電源ボタン長押しでPC終了⇒ファンの掃除⇒少し待って再起動
・ケーブルを買い替える
Windowsセーフモードを起動(表示すらされず)
※いずれも効果なし

 

【備考】
・ガレリアのPCでSteam版ニーアが起動しなくなったという情報あり?
・Steam版ニーアがマルチディスプレイと相性最悪であるという情報あり?
(表示周りのバグがすごく多いらしい)

 

【解決法】
Display Port No Signal FIX !!

www.youtube.comこちらに紹介されているこの方法で解決しました。


和訳すると

PC→モニタの順番に電源を切る

それぞれ電源アダプタを抜く

30秒待つ

モニタ→PCの順番に起動

 

【原因(推測)】
・Steam版ニーアが起動時に表示ディスプレイを探した際、
何らかの原因で内部にある表示ディスプレイ設定を書き換えるか何かして
誤ってマルチディスプレイとして認識してしまい、
PCとディスプレイの表示設定周りがごっちゃになってしまった

個人的に「頭を空っぽにして見れる」メディア3作品

今回は、個人的に頭を空っぽにして見れるメディアを3作品ほど、数行ずつで紹介してみようと思います。

テーマは「とにかく〇〇」。 ではいきます。

 

キルラキル (アニメ)

とにかくアツい。ごり押し。情報量が多い。インパクトの塊。ツッコミどころしかない。ブレないところにほんの少し安心する。

www.kill-la-kill.jp

 

パンティ&ストッキングwithガーターベルト (アニメ)

とにかく下品。めっちゃめんどくさがりな登場人物たち。ツッコミどころしかない第二号。なんとなくだけど二期はおそらく作れない。でも二期を待ち望んでいる。

ja.wikipedia.org

 

 

BBQ Pit Boys (Youtube)

とにかく肉。チーズ。あとニンニク。飯テロすぎる。肉好きにはたまらない。時々野菜狂信者とマーサ(健康食タレントらしい)に喧嘩を売る。

最近数本が日本語字幕に対応したらしい。翻訳がとてもいい感じでつい見てしまう。

www.youtube.com

 

みんな、頭を空っぽにして元気になろうな!(?)

 

某アニメを観てふと心の霧が晴れたという話

昨日、「キルラキル」を観た。

www.kill-la-kill.jp

 

とにかくアツく、とにかく力技、なのに引き込まれる絶妙なバランスのアニメであるように感じる。

このアニメを観ていた時、自分の中に多くあったもやもやが、ふと少し晴れたような気がした。今回はそんな話です。

 

最近、他者とうまくコミュニケーションが取れなくなっている自覚がより強くなっていた。相手の話をしっかり聞いているつもりなのに、何故か沈黙が生まれてしまう。その沈黙で焦り、結局そればかりが気になってしまう。ここ最近は特にそんな状態だった。

 

しかしこのアニメを観て、少し正体が分かった気がした。どうも前に捨てたはずの「他者への期待(=完璧主義を他者に押し付けそうになる状態)」が復活しているようなのだ。

 

いったい何故だろう。キルラキルだからだろうか。この中に、どんなきっかけがあったんだろうか。気になったので、少し考えてみた。

 

私はこのアニメを、「頭を空っぽにして観られるアニメだ」という認識で観ている。

とにかく情報量が多く、ツッコみどころが多すぎる。しかしとても爽快な作品だと思う。悲観的になりすぎず、緩急で言えば常に急で、インパクト調のフォントに、とにかく飲み込まれる。しかし飲み込まれすぎない。そんな不思議な作品だとも思う。

 

最初は、「情報量が多すぎて頭がパンクするから」なのかとか、「インパクトに集中するおかげでいくらか注意力が散漫にならずに済むから」なのかとか、色々考えていたが。

結論、もしかして私は「力を余していた」のかもしれないと思った。生活が緩慢として、しかし「力を余して疲れていた」のではないかと思ったのだ。

そういえば最近は外も寒くて、すっかり家に引きこもることが多くなっている。今までは外に出ることで、無自覚のうちに「体力を使っていた」のかもしれない。

何故なら、理由として思いつくことの共通点が「疲れる」ことにあるからだ。

 

そういえば先日機会があり、ちょうど1年前の自分のツイートを漁った。当時右目の手術の一カ月前の状態だ。ただそれを抜きにしても、総論「他者とコミュニケーションがうまく取れない」「なんだかもやもやしている」内容のツイートが多いような気がした。

これもふまえて考えると、もしや私は、毎年冬になると外に出づらくなることで力を余し、無駄に色々と考えすぎるのではないか

とりあえずここまで考えついた。

 

これからは色々と考えすぎる時には外に出たい。きっかけまでは明確には作れないにしろ、外出をやりやすくするための選択肢は得てきたつもりだ。

 

御託は後回しにして、外に出て疲れることが、今の私には大事なのだと思う。

あのヘルプマークのツイートから1年になろうとしているので

このツイートをしてから、約10カ月が経とうとしています。

 

あの時に知り合った方も多く、たいへんありがたいご縁をいただいたと思っております。当時お見かけくださった皆様、お声がけくださった皆様、本当にありがとうございました。

今回はこのツイートがこうして数万RTいったことで、その後感じた変化や実際にいただいた声等をまとめさせていただければと思います。

 

ツイートの経緯

4/2にある自閉症啓発デーでのアスパムのライトアップを見に、一足先に青森駅に降り立った際、ヘルプマークを知っている女子高生さんから声をかけていただいたという内容です。

この時初めて声をかけていただいてシンプルに嬉しかったので、ただただそれだけを伝えたくて書いた感じです。

 

こうしてあとの事を振り返る意図

Twitterでこれくらいバズったらこんな感じになるかもっていう指標の一つにしてほしい

・このツイートに来るヘルプマークに関しての疑問や視点はだいたいこんなところに集まっていたよの指標の一つにしてほしい

・ヘルプマーク関連で私や周囲が感じた変化、"その後"についてもまとめておきたかった

 

このツイートについてお声がけいただいたこと

・新聞掲載 (毎日新聞様)

・まとめブログ等での紹介

 ( BuzzFeed News様 / ねとらぼ様 / grape編集部様 / fundo様 / FNNプライムオンライン様 / ふーぽ様 / ディーキャリア様 )

・ほか各所での事例としての掲載 / 他言語での翻訳掲載

 

このツイートについて風のうわさで聞いたこと

・ラジオで紹介されていた

・講演で紹介されていた

 

自分が地元で感じた変化

・バスの一部車両の優先席のところにヘルプマークのステッカーが貼られるようになった

・ヘルプマークを使っている人を何人か見かけるようになった

・あの後も数回声をかけていただいた (本当にありがとうございました)

 

このツイートを見かけた知り合いから聞こえてきた変化

・行きつけのスーパー等にヘルプマークのポスターが新しく掲示されだした

・地元/旅行先でヘルプマークをつけている人を数人見かけた

・旅行先でヘルプマークをつけている人に声をかけ、手助けすることができた

・あのツイートがあったから意識してみるようになったかもしれない (本当にありがたい)

 

リプライいただいた主な内容

【当事者の方視点】

・自分もつけてるけど声をかけられたことがない

・自分もつけてるけど声をかけられて嬉しかった

・声をかけられたのにまともに返事ができなかったから申し訳ないと思っている

・つけていてつらい目にあった

・もっと認知度が上がってほしい

 

【当事者の知り合いや身内の方視点】

・身内がつけているがみんな知らない、もっと認知度が上がってほしい

・知り合いがつけているがどう接すればいいのかわからない

 

【その他】

・つけている人を見かけたことがあるが声をかける勇気がでなくて申し訳ない

・スイス大好きマークに見える。デザインの敗北ではないのか。

 

よく投げかけていただいた疑問

・どういう風に声かけたらいいの?

・そもそも本当に声かけていいの?

・ヘルプマークをつけている方に同行者がいらした場合はどうすればいいの?

・いつでも声かけていいもんなの?

・どこでもらえるの?

 

こんな感じです。読んでくださってありがとうございました。

これが何かの参考になったり、考えるきっかけになったりすることがありましたら、とても嬉しいです。

 

おまけ

ちなみに、この女子高生さんとは今もちょくちょく連絡し合っています。実は2018年中に女子高生さんに誘われて、高校の文化祭にもお邪魔してきました。めっちゃ楽しかったです。今もお元気にされているようで何よりです。

 

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あと地元ネタですが、ツイートに添付したこの写真を撮ったのは、ワラッセの裏側からアスパム側に抜ける道の縁石のとこです。