【ちょっぴりエッセイ】『誰にでも優しい居場所』といううたい文句によせて
お久しぶりです。今回は機会があって、ちょっとしたエッセイのような何かを書いてみたので、貼り付けておこうと思います。
『誰にでも優しい居場所』といううたい文句によせて
個人的には「誰にでも優しい居場所」というのは理想論だと思う。あれば桃源郷だけれど。
淘汰され続きな私たちに、せめて一つくらい淘汰されない場所があればいいという感覚は理解できるが、
そのためにお互い寛容になれるかは重要であると考える。
「自分も相手も淘汰されない」ということは、まず「自分が他人に対しても寛容である必要がある」ということの意識と、積み重ねだ。
お互いに「誰にでも優しい居場所」を「作るための努力」はできても、その継続はどんどん難しくなっていく。
その場所を使うユーザーが増えていくならなおのことだ。
何故なら理想とする場所の枠組みを作り上げることの「実現」と、
その場所を維持し続けることの「継続」とでは、必要な観点が違ってくるからである。
これはたとえば、その場でとりあえず50m全速力で走ってみることはできても、
それを10セット+1カ月毎日やれ と言われたら話が違ってくることに近いのである。
また、主論とは逸れるが、寛容であるということは「いつでも何にでも優しくあること」と思われがちなようにも見える。
しかしたとえば「ムッとしたら離れる」こともまた、寛容の一つの形かもしれない。
つまり他人に対して寛容であるということは、自分に対しても寛容になれるということかもしれなくて、
だから休むことや無理をしないことも決して悪いことではないと、私は考える。
以上です。ありがとうございました。また書く気になりましたら、こういうのもあげていこうと思います。
Steam版ニーアを起動したらdisplayportが全死した話(解決済)
先日、Steamでニーアを起動した際に、突然ぶつりと画面が暗転し、displayportに接続していたモニタが信号を受信しなくなるという大惨事が発生しました。
個人的に見てみた感覚でディスプレイもPCも問題がない状態で首をひねりましたが、結果解決しましたので、情報を共有させていただきます。
同様の問題に悩んでおられる皆様が、参考にできますように。
【事実】
・PCは落ちていなかった
・音は正常に聞こえた
・モニタの他インプットは表示、音ともに正常に動作していた
・NVIDIAのドライバが一つ前のバージョン状態で更新をかける前だった
・キャプチャボードが接続されていた
・NVIDIAコントロールパネルとディスプレイ設定、実際のモニタの
各種リフレッシュレート設定はすべてに矛盾がなかった
・NVIDIAコントロールパネル>複数のディスプレイの設定 に
よく分からない別のディスプレイ表示が追加されていた
【試したこと】
・電源ボタン長押しでPC終了⇒ファンの掃除⇒少し待って再起動
・ケーブルを買い替える
・Windowsセーフモードを起動(表示すらされず)
※いずれも効果なし
【備考】
・ガレリアのPCでSteam版ニーアが起動しなくなったという情報あり?
・Steam版ニーアがマルチディスプレイと相性最悪であるという情報あり?
(表示周りのバグがすごく多いらしい)
【解決法】
Display Port No Signal FIX !!
www.youtube.comこちらに紹介されているこの方法で解決しました。
和訳すると
①PC→モニタの順番に電源を切る
②それぞれ電源アダプタを抜く
③30秒待つ
④モニタ→PCの順番に起動
【原因(推測)】
・Steam版ニーアが起動時に表示ディスプレイを探した際、
何らかの原因で内部にある表示ディスプレイ設定を書き換えるか何かして
誤ってマルチディスプレイとして認識してしまい、
PCとディスプレイの表示設定周りがごっちゃになってしまった
個人的に「頭を空っぽにして見れる」メディア3作品
今回は、個人的に頭を空っぽにして見れるメディアを3作品ほど、数行ずつで紹介してみようと思います。
テーマは「とにかく〇〇」。 ではいきます。
キルラキル (アニメ)
とにかくアツい。ごり押し。情報量が多い。インパクトの塊。ツッコミどころしかない。ブレないところにほんの少し安心する。
パンティ&ストッキングwithガーターベルト (アニメ)
とにかく下品。めっちゃめんどくさがりな登場人物たち。ツッコミどころしかない第二号。なんとなくだけど二期はおそらく作れない。でも二期を待ち望んでいる。
BBQ Pit Boys (Youtube)
とにかく肉。チーズ。あとニンニク。飯テロすぎる。肉好きにはたまらない。時々野菜狂信者とマーサ(健康食タレントらしい)に喧嘩を売る。
最近数本が日本語字幕に対応したらしい。翻訳がとてもいい感じでつい見てしまう。
みんな、頭を空っぽにして元気になろうな!(?)
某アニメを観てふと心の霧が晴れたという話
昨日、「キルラキル」を観た。
とにかくアツく、とにかく力技、なのに引き込まれる絶妙なバランスのアニメであるように感じる。
このアニメを観ていた時、自分の中に多くあったもやもやが、ふと少し晴れたような気がした。今回はそんな話です。
最近、他者とうまくコミュニケーションが取れなくなっている自覚がより強くなっていた。相手の話をしっかり聞いているつもりなのに、何故か沈黙が生まれてしまう。その沈黙で焦り、結局そればかりが気になってしまう。ここ最近は特にそんな状態だった。
しかしこのアニメを観て、少し正体が分かった気がした。どうも前に捨てたはずの「他者への期待(=完璧主義を他者に押し付けそうになる状態)」が復活しているようなのだ。
いったい何故だろう。キルラキルだからだろうか。この中に、どんなきっかけがあったんだろうか。気になったので、少し考えてみた。
私はこのアニメを、「頭を空っぽにして観られるアニメだ」という認識で観ている。
とにかく情報量が多く、ツッコみどころが多すぎる。しかしとても爽快な作品だと思う。悲観的になりすぎず、緩急で言えば常に急で、インパクト調のフォントに、とにかく飲み込まれる。しかし飲み込まれすぎない。そんな不思議な作品だとも思う。
最初は、「情報量が多すぎて頭がパンクするから」なのかとか、「インパクトに集中するおかげでいくらか注意力が散漫にならずに済むから」なのかとか、色々考えていたが。
結論、もしかして私は「力を余していた」のかもしれないと思った。生活が緩慢として、しかし「力を余して疲れていた」のではないかと思ったのだ。
そういえば最近は外も寒くて、すっかり家に引きこもることが多くなっている。今までは外に出ることで、無自覚のうちに「体力を使っていた」のかもしれない。
何故なら、理由として思いつくことの共通点が「疲れる」ことにあるからだ。
そういえば先日機会があり、ちょうど1年前の自分のツイートを漁った。当時右目の手術の一カ月前の状態だ。ただそれを抜きにしても、総論「他者とコミュニケーションがうまく取れない」「なんだかもやもやしている」内容のツイートが多いような気がした。
これもふまえて考えると、もしや私は、毎年冬になると外に出づらくなることで力を余し、無駄に色々と考えすぎるのではないか?
とりあえずここまで考えついた。
これからは色々と考えすぎる時には外に出たい。きっかけまでは明確には作れないにしろ、外出をやりやすくするための選択肢は得てきたつもりだ。
御託は後回しにして、外に出て疲れることが、今の私には大事なのだと思う。
あのヘルプマークのツイートから1年になろうとしているので
このツイートをしてから、約10カ月が経とうとしています。
本日、青森駅で「何かお手伝いできることはありませんか?」とお声がけくださった女子高生らしきお方へ。
— 新坂 時深 (@FredMarks_) April 2, 2018
私がこのマークをつけはじめて数年経ちますが、初めて声をかけていただきました。
あなたのおかげで「ヘルプマークをつける意味」が、0から1になりました。
本当にありがとうございました……! pic.twitter.com/ej9tg3TIB1
あの時に知り合った方も多く、たいへんありがたいご縁をいただいたと思っております。当時お見かけくださった皆様、お声がけくださった皆様、本当にありがとうございました。
今回はこのツイートがこうして数万RTいったことで、その後感じた変化や実際にいただいた声等をまとめさせていただければと思います。
ツイートの経緯
4/2にある自閉症啓発デーでのアスパムのライトアップを見に、一足先に青森駅に降り立った際、ヘルプマークを知っている女子高生さんから声をかけていただいたという内容です。
この時初めて声をかけていただいてシンプルに嬉しかったので、ただただそれだけを伝えたくて書いた感じです。
こうしてあとの事を振り返る意図
・Twitterでこれくらいバズったらこんな感じになるかもっていう指標の一つにしてほしい
・このツイートに来るヘルプマークに関しての疑問や視点はだいたいこんなところに集まっていたよの指標の一つにしてほしい
・ヘルプマーク関連で私や周囲が感じた変化、"その後"についてもまとめておきたかった
このツイートについてお声がけいただいたこと
・新聞掲載 (毎日新聞様)
・まとめブログ等での紹介
( BuzzFeed News様 / ねとらぼ様 / grape編集部様 / fundo様 / FNNプライムオンライン様 / ふーぽ様 / ディーキャリア様 )
・ほか各所での事例としての掲載 / 他言語での翻訳掲載
このツイートについて風のうわさで聞いたこと
・ラジオで紹介されていた
・講演で紹介されていた
自分が地元で感じた変化
・バスの一部車両の優先席のところにヘルプマークのステッカーが貼られるようになった
・ヘルプマークを使っている人を何人か見かけるようになった
・あの後も数回声をかけていただいた (本当にありがとうございました)
このツイートを見かけた知り合いから聞こえてきた変化
・行きつけのスーパー等にヘルプマークのポスターが新しく掲示されだした
・地元/旅行先でヘルプマークをつけている人を数人見かけた
・旅行先でヘルプマークをつけている人に声をかけ、手助けすることができた
・あのツイートがあったから意識してみるようになったかもしれない (本当にありがたい)
リプライいただいた主な内容
【当事者の方視点】
・自分もつけてるけど声をかけられたことがない
・自分もつけてるけど声をかけられて嬉しかった
・声をかけられたのにまともに返事ができなかったから申し訳ないと思っている
・つけていてつらい目にあった
・もっと認知度が上がってほしい
【当事者の知り合いや身内の方視点】
・身内がつけているがみんな知らない、もっと認知度が上がってほしい
・知り合いがつけているがどう接すればいいのかわからない
【その他】
・つけている人を見かけたことがあるが声をかける勇気がでなくて申し訳ない
・スイス大好きマークに見える。デザインの敗北ではないのか。
よく投げかけていただいた疑問
・どういう風に声かけたらいいの?
・そもそも本当に声かけていいの?
・ヘルプマークをつけている方に同行者がいらした場合はどうすればいいの?
・いつでも声かけていいもんなの?
・どこでもらえるの?
こんな感じです。読んでくださってありがとうございました。
これが何かの参考になったり、考えるきっかけになったりすることがありましたら、とても嬉しいです。
おまけ
ちなみに、この女子高生さんとは今もちょくちょく連絡し合っています。実は2018年中に女子高生さんに誘われて、高校の文化祭にもお邪魔してきました。めっちゃ楽しかったです。今もお元気にされているようで何よりです。
ブログ初心者(?)としての抱負
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。……というか、寒中お見舞い申し上げます。今週のお題は「ブログ初心者に贈る言葉」とのこと。自分は始めてからまだ日も浅いので、抱負を話してみようと思います。
とにかく投稿すること
私の場合、まずはここからかなあ……と思います。
昨年の暮れにはAdvent Calendarにいくらか登録させていただいたからか、だいぶ頻繁に投稿できていました。ただ、今は書きたい内容はあるのに記事にできていません。難しいことです。
思えば今までブログが続かなくなっていた理由も同様に、「記事にできない」ことだったような気がします。そういえば、Twitterが普及した理由について、この辺の"アウトプットの手軽さ"と絡めて話していた方がいらっしゃったな、と思い出しました。
要はAdvent Calendarはいいきっかけだったのでしょう。とりあえず自分できっかけを作っていくのも大事だなと考えてもいます。〆切を他者に見える形で設定するようなきっかけを。
待ってるだけじゃあできないですもんね。自分でやっていきたいです。これからも。
おまけ: 2019年の抱負
本当に今更なんですけど、新年の抱負もここで発表してしまおうかな……
今年の抱負は「淡々とあること」「継続すること」です。
継続すること
昨年の暮れ頃に、今まで積み重ねてこないことで何度も同じ失敗をしてきたのではという感覚が強くなりました。
続けられなかったり、やり始められなかったり、忘れやすかったりしていて、パターンやテンプレート化しているのに、見えていないことがあるんじゃないかと。
なのでやり始めたことがあるんですが、それもとかく続けられない。
だからまずは、自分が続けやすくあれるもののフォーマット作りや研究を始めました。
最終目標は「同じ失敗を繰り返さない」こと。でも今はまず、「継続する」ことから。
そんな感じです。ブログ初心者としての抱負にもかかってくるかもしれない。
淡々とあること
やりたいことでも、できることでも、やらなければいけないことでも、淡々と一つ一つこなしていくというか。そういう冷静に似た感覚を持ちたいとも思いました。
「やりたいからやる!」という元気な感じでなくても、「やってみるかー」というフラットな感じで物事に臨めるようになりたいし、失敗したら「できなかったかー」で流せたりできるようにもなりたい。
やらなければいけないことは具体的で段階的に把握できるようになりたいし、実行できたい。その間の気持ちもできる限りフラットな状態でありたい。
だから「淡々とあること」。こうありたい。せめて近づきたい。
月に一度映画館に行った特別な一年
2018年はご縁をいただいて奇跡的に、月に一度以上映画館に行く一年になりました。なので、2018年に見た映画を月1本ずつ、数行程度でレビューしていこうと思います。
1月: gifted(ギフテッド)
字幕版をそれぞれ親しい人と母親とで二回観た。
"天才"とどう向き合うのかという話なイメージ。主な主題は「凸を伸ばすことだけが本当に本人のためになるのか?」なのではないかと思う。一人の"天才"が遺した"天才な子供"のことを各々が思い、悩み、何が本当に彼女のためになるのかを探っていく話。
主人公の声のかけ方がかなり魅力的。とてもしっくりくる。とりあえず私は主人公に色々なことの教えを乞いたい。あと主題歌が優しい感じで好き。
2月: ジオストーム
字幕版を親しい人と観た。
地球上の天候を完全に管理できるようにつくられた衛星が暴走したので、チェックのために(解雇されてた)設計管理者を宇宙へ飛ばすよ!な話。
正直個人的にはこれじゃない感があった。思っていた胸熱展開はなかった。でも主人公の弟の婚約者がちょーかっこいい。UIのグラフィックもちょーかっこいい。
3月: グレイテスト・ショーマン
字幕版を友人と観た。
サーカスつくったよーな話。夢見たものを実現させるサクセスストーリーなイメージ。
これは面白かった。かつDOLBY-ATMOS(360度あらゆる方向から音が流れてくる特別設備)で観たおかげでもう楽園だった。主人公の人柄に惹かれ、ひたむきに支える妻と、その思い付きに"賭ける"団員。色々あったけど、賭けには勝った!やったぜ!という感じで、勇気付けられた。
4月: レディプレイヤー1
字幕版を友人二人と観た。
膨大なVR世界で、創造者の言ったことを信じ、一つの宝を探す話。
ネタがわかる人には楽園だと思う。トップ5の面々が誰も彼もかっこいい。ただコミュニケーションが苦手そうな主人公がこんなことできるのか……と思うところはちょこちょこあった。あとリア充爆発しろ。
5月: アベンジャーズ インフィニティ・ウォー
字幕版を母親と観た。
※私はアベンジャーズを一度も見ていません
※つい最近までマーベルとDCの違いすら分からなかった人です
宝探しというか、宝物をとにかく自分の手に!みたいな感じに見えた。なんか続編がありそう。というかないとやばそう。ドクターストレンジが超かっこいい。ドラマ版観なきゃ……。
6月: デッドプール2
吹替版を仲間と観た。
※私はアメコミヒーローをまったく知りません
※つい最近までマーベルとDCの違いすら(ry
デッドプール初見がこれだったので、開幕でビビる。そして隣で訳知り顔の仲間が私のビビる姿を見て笑う。きたないファミリー映画。ちょっとメタ的なつくりが入っているというか、それでちょっと面白い。
7月: ハン・ソロ
字幕版を仲間と観た。
※私はスターウォーズを一作品も観ていません
※スターウォーズの登場人物も設定も全く知りません
途中で「自分で作った作戦を自分で壊すのはやめてくれ!!!!!!!お願いだから!!!!!!!!」と言いそうになってしまった。とりあえずなんかかっこいい。
8月: 銀魂2 掟は破るためにこそある
それぞれ親しい人と母親とで二回観た。
相変わらずのクオリティ。菅田将暉さんも橋本環奈さんもすごい。あと佐藤二朗さんは毎回面白い。あと源外さんは毎回なんかやらかさないといかんのか……。あとそこに窪田正孝さんを起用してくるとは思っていなかった。
9月: カメラを止めるな!
仲間と観た。
確かにこれは面白い。というかすごいシニカル!めっちゃ皮肉!今の日本をあらわしている感じ!とてもいい!ちょー面白い!……もうオンデマンドとかで配信されてるのは知ってるけどネタバレが怖くてこれ以上言えない……orz
10月: 500ページの夢の束
字幕版を一人で観た。
個人的にはめちゃくちゃあるあるな話が多かった。共感しながら観た。スタートレックの話が分かる人にはより面白かったりするのかもしれない。何故かやけに涙が出た。とにかく早くオンデマンドにきてくれえええ!!!!!また観たいんじゃああああ!!!!!!
11月: 教誨師
一人で観た。
大杉連さんの最期の作品だったはず。お仕事を見学をしたような気分にもなった。確かに難しい仕事だと思った。一癖も二癖もある登場人物たちの描かれ方もすごい。あと主人公が私とは違う死生観を持っていてかなり印象的だった。
12月: グリンチ
吹替版を仲間と観た。
12/23というクリスマス目前に観に行ったので、スクリーンが満席だった。これはもう完全に水曜どうでしょうの大泉洋を観に行くつもりだったのであれだったけど、本当に水曜どうでしょうの大泉洋だった。特に前半。とにかくやばかった。観ながら水曜どうでしょうを思い出して死にそうになった。
グリンチ本人像としては、やっぱりなんだかんだつらいし、寂しいし、臆病で、でもとても優しい。その優しさが淡々としたものなのかは分からないけど、事実として優しく感じた。
そういうところ含めて本人像がとてもいとおしく見えたし、あとやっぱりグラフィックもすごかった。
以上です。ありがとうございました。様々なご縁をいただけることに感謝したいです。また、なんとなく習慣になってしまった映画館通いを、これからもできる範囲でやってみれたらと思います。