雑記帳

北の地方都市で、見えない左目と見えづらい性質と一緒に生きています。思ったことを色々と。

今までを振り返り今を話すとだいたい2000字くらいになった

こちらは 人生 Advent Calendar 2018 の、12月18日分の記事になります。

時深と申します。2018年現在23歳です。北国の地方都市に生まれ、今もここで生きています。

 

わたしの過去

幼稚園は登園拒否。小学校から高校まではいじめに遭うというか、クラスで浮いている。見るからにやばい人間で、「触れたらやばい」人間のような様相。中学校では不登校。14歳の頃にアスペルガー症候群の診断を受けるも、両親が私に診断を伝えることはなく。

高校卒業後すぐに就職。しかし失敗し、うつ病からの無職に。19歳で出会った方とお付き合い。21歳で同棲の折に、相手の方から発達障害の可能性を指摘され、医療機関にてアスペルガー症候群ADHDの診断の申告を受ける。22歳で白内障になり、2018年のはじめに右目のみ手術を受ける。現在も左目は見えないままだ。

 

わたしの親

声が大きくせっかちで、よく酒を飲み逆ギレを起こす父親と、自身を開き直りつつも家族に世話をかけたくて、でもその実力がないと嘆く母親に生まれた。どちらもひどく不器用だ。加えて二人とも高齢で、もう何かを変える気力などない。

私は幼いころから、言い合う両親の間に勝手に入って言葉の通訳をしたり、声が大きくて怖い、喧嘩をしないでと泣きながら止めたり。そんな感じだった。

 

父も母も、私のことは好きらしい。

でも私は、父の声が苦手だ。母の頼りにならないところが苦手だ。

でも私は、父が幼いころ連れて行ってくれた仕事場での風景と、芸術家としての仕事ぶりが好きだ。母の友人のような気軽さと、時々一緒に行く映画館が好きだ。

 

困った時、頼れる人はいないけれど。

 

わたしの事

ご飯を食べれば、一口食べるごとに部屋を走り回り、戻ってきてまた一口。そんな落ち着きのなさを見せ、小学校低学年の頃には一人で電車に乗り県外の親戚の家へ。気になることの方に気が向きすぎ、名前を呼ばれても返事もしないことが多かった。

そんな私を見て、早々に「コントロール」を諦めた両親から、

「犯罪にならなければ何をしてもいい。ただしその責任はお前にある。」

そんなことを言われた。まだ私が1桁の年齢の頃だった。

中学生の頃、とある性的な言葉の意味が分からず、友人と二人、先生に聞きに行った。やんわりと教える先生、察する友人。私はよく分からなかったので、大声で使った。慌てる先生、離れる友人。そんなこともあった。

「悲劇のヒロインでいたって何にも面白くないし、助けてもらえないよ?」

そう言われてここまで来た。

 

でもこんなんでも、中学から高校までの6年間、ボランティアをやった。バンドでドラムをした。色々なデザインをやってみた。イベントの運営をやってみた。お化け屋敷でお化け役をやってみた。朗読をやってみた。講演をやってみた。ボイスドラマをやってみた。コミュニティの運営をやってみた。トランポリンをやってみた。ピアノをやってみた。カホンを叩いてみた。ラジオ配信をしてみた。動画を作ってみた。音声を編集してみた。お泊まりをしてみた。よく一人で色々なところへ行った。絵を描いてみた。文章を書いてみた。食べ比べや飲み比べをやってみたりもした。

音楽、ゲーム、映画、読書、創作、……色々なことが今も好きだし、今も突然「二郎系ラーメンを再現してみたい!」と言い出して、材料を一式買い込んでくるような人間である。

 

わたしの中

死にたいと思ったことは数多く、生きたいと思ったことはない。"楽しい"という感覚は知っている。きっと誰もが、私の不可解ぶりとめまぐるしさに目を回し、鼻をつまみ、諦めたのだと思う。だから基本的に原因は私にある。

申し訳ないと思いつつ、返せるものもなく。しかし知的好奇心は止まらず、目の前の事は楽しく。興味のないことや納得できないことはひどく不出来なので、そのあたりの発想を転換させることで、ぎりぎりやり過ごしたり、やり過ごせなかったり。

今も自分の行動の理由を説明できず、他者からすれば、いつまでもつじつまが合わない人間である。だがよく笑うし、ひとの話を聞くのは大好きだ。

よく「嬉しい」と思う。よく「ありがたい」と思う。そういうのは素直であった方がいい。思った時にすぐ伝えた方がいい。だから何の脈絡もなく感謝することがある。加えて話せば話題がよく飛び、気になったものがあるとそっちに走っていってしまうので、友人や関わる人は私に戸惑うばかりだ。

 

わたしの核

価値観として、自分のものが絶対だなんて思えない。それを押し付けることもしたくない。押し付けは期待であり、期待通りでなかった時には、怒りに繋がる。きっと私は特にそうなりやすいだろう。だから、「ひとに期待しない」に至った。

何が起こるか分からないこと、目測がつかないことは怖い。だから「とりあえずやってみよう」にたどり着いた。いつまで生きることになるのかが分からないのも怖いので、今はとりあえず30歳になったら死ぬことにしている。失敗もひとつの経験で、物事に"あたり"をつけるサンプルのひとつになるから、「失敗する経験」も楽しい。

これからもきっと変わらない。とりあえず今は、ネガティブを礎にしたポジティブと、思考停止のない今を目指し続ける。