発達障害という名の"一つの解"を得て
この度、 発達障がい Advent Calendar 2018 12月10日を担当させていただくことにしました。
私は当事者として診断を受け、自覚してから現在までについて、個人的にさっくりと振り返ってみようと思います。よろしければお付き合いください。
さっくり自己紹介
年齢 / 性別: 23歳 / 女
診断名: ASD(自閉スペクトラム症) / ADHD(注意欠如多動性障害)
検査済: WAIS-Ⅲ / WISC-Ⅲ / 感覚プロファイル
14歳でアスペルガー症候群の診断を受けるも
私の場合、不登校を経てあるきっかけで心療内科にかかった際、アスペルガー症候群(現自閉スペクトラム症)の診断を受けました。しかし、先に診断の事実を聞いた両親が私に告知しないことを選択し、私自身でその診断を自覚することになるのは、7年後の21歳になってからとなります。
18歳で就職に失敗
診断を自覚しないまま18歳、高卒で就職しますが、仕事の覚えが悪く、職場内の人間関係がうまくいかないこともあり、わずか数カ月で退職。一時的な適応障害とうつ病の診断を受け、無職期間に入ります。
21歳で診断の事実が発覚
当時同棲していた相手が私の性質に気づき、「もしかして」と思い始めます。きっかけは、同棲相手が昔身内の発達障害を疑って読んだ「DSM-Ⅳ-TR」の内容を思い出したことからでした。
その話を相手から聞いた私は、相手視点での私の気になる言動について書面にしてもらいました。その後14歳の頃から通い続けていた心療内科に書面を渡して相談すると、すぐADHDの診断が下り、その際に、14歳の頃にアスペルガー症候群の診断を受けていた事実を自覚することとなりました。これが2016年のことです。
自覚して翌日からの情報収集
診断の話を聞いた翌日からすぐに、リアルやネットでのかかわり各所にて、診断のことを公表しました。と同時に、自分が使える医療制度や支援機関についての情報収集を開始します。
インターネットを主に、発達障害の基礎知識は発行の新しい書籍を何冊か購入することで勉強しはじめます。
この頃、この情報収集が功を奏して、開所して間もない発達障害者支援センターが地元にあることを発見し、無事に面談に行き始めることができました。その後障害者手帳を交付いただく等様々なことがありましたが、その辺は割愛します。
診断を受けてから変わったこと(環境)
・当事者としての体験談を講演等で話す依頼をいただくようになった
・サングラスや耳栓を入手した
・障害者手帳等の障害福祉支援制度を使わせていただくようになった
・支援センター等のかかわりが生まれたことで、働き方や生き方でとれる選択肢の幅が少し広がった
・友人等から「発達障害ってどういうもの?」「もしかしたら私も……」「実は私も……」「どういう風に対応してほしい?」等、相談が来るようになった
診断を受け、支援を受けてから自分について知ったこと
・様々な性質について、それらが「性質である」と理解した(ばらばらだった情報が一つにまとまった感覚)
・外的刺激には過敏だが、内的変化には鈍感であることに気づいた
等
診断を受けてから変わったこと(認識/内面)
・診断を自覚して最初期には「一生治らない」という言葉が重くのしかかって少し悲しくなったりした
・「自分はこんなに色々言ってもらえるレベルで 助けられていい存在だったのか」という驚きがあった
・何か問題があった際の判断材料の引き出しがひとつ増えた
・自分のことを説明するにあたっての、あくまでひとつの「言葉」や「タグ」(圧縮言語)みたいなものを手に入れたようなつもりでいることにした
当面の主な予定
・就労関係の調整
・内面の変化(体調不良や疲れ)の観測、休むハードルへの「あたり」をつける作業
・講演等への参加
等
今後需要があれば……
・情報収集の際に意識した工夫
・性質に対して具体的にとっている工夫
・診断を自覚してから現在までの気持ちの経過について
等含め、より具体的なことを話していきます。
以上です。ありがとうございました。さっくりとした振り返りでしたが、何か面白いと思っていただけたり、参考になるようなことがございましたら幸いです。
それでは、2018年ももうそろそろ終わりですが、来年もどうか、生きてお会いできますように。