【ちょっぴりエッセイ】『誰にでも優しい居場所』といううたい文句によせて
お久しぶりです。今回は機会があって、ちょっとしたエッセイのような何かを書いてみたので、貼り付けておこうと思います。
『誰にでも優しい居場所』といううたい文句によせて
個人的には「誰にでも優しい居場所」というのは理想論だと思う。あれば桃源郷だけれど。
淘汰され続きな私たちに、せめて一つくらい淘汰されない場所があればいいという感覚は理解できるが、
そのためにお互い寛容になれるかは重要であると考える。
「自分も相手も淘汰されない」ということは、まず「自分が他人に対しても寛容である必要がある」ということの意識と、積み重ねだ。
お互いに「誰にでも優しい居場所」を「作るための努力」はできても、その継続はどんどん難しくなっていく。
その場所を使うユーザーが増えていくならなおのことだ。
何故なら理想とする場所の枠組みを作り上げることの「実現」と、
その場所を維持し続けることの「継続」とでは、必要な観点が違ってくるからである。
これはたとえば、その場でとりあえず50m全速力で走ってみることはできても、
それを10セット+1カ月毎日やれ と言われたら話が違ってくることに近いのである。
また、主論とは逸れるが、寛容であるということは「いつでも何にでも優しくあること」と思われがちなようにも見える。
しかしたとえば「ムッとしたら離れる」こともまた、寛容の一つの形かもしれない。
つまり他人に対して寛容であるということは、自分に対しても寛容になれるということかもしれなくて、
だから休むことや無理をしないことも決して悪いことではないと、私は考える。
以上です。ありがとうございました。また書く気になりましたら、こういうのもあげていこうと思います。